ダヴィッド・バグナル氏


防府市とモンロー市との国際交流を通じて最大の功労者は、ダヴィッド・バグナル氏であろう。バグナル氏は1989年(平成元年)当時、モンローの商工会議所会頭で、モンロー市のいろいろな世話役を引き受ける立場にあった。

 

バグナル氏の防府市とのかかわりは、1990年、モンロー・コミュニティーカレッジのジェラルドウェルチ学長と親善友好のために防府市を訪れたことから始まる。

当時t、防府の人々はモンローの人たちの事はあまりなじみではなかったが、二人は11月末の天満宮の裸坊祭やお笑い講に参加し、恒例の白装束にハチマキをして祭りの輪に入って踊った。以来、幾度も抱負を訪れたバグナル氏に防府の市民たちは次第に親しみを感じるようになった。

 

元来、彼の人柄は親切で細かいことに気が付き、しかも、積極的に人の面倒を見る性格である。私たちが、初めてモンロー市を訪問した時にも大変お世話になった。

その後、市長がかわってもバグナル氏はいずれの公式の会合にも必ず同行し、すべての行事について、私たちの面倒を見てくれた。

 

彼は、私たちの家庭に幾度もホームステイして、娘や孫たちと遊び、家族同然であった。防府モンローの親善交流は、すべて彼の才覚なくしては進まなかったといっても過言ではない。

 

1993年5月29日、日本・防府とアメリカ・モンローとの我々の夢は実現した。

 

〈意志のあるところ、必ず道が開ける。

決して、不可能というなかれ!〉

 

~バグナル氏から贈られた額~

 ホームステイにて、家族と一緒に(1992年、南園宅にて)

左から、節子、バグナル氏、奈都美(孫)、私、

てる子(母)